凡ブスの心得

私は非常に中身も面白くないが、外見も面白くない。
凡だ。
正しく表現すれば、凡なブスである。

まずブサイクとブスの違いという話はすごく簡単にすれば、
いじって笑いになるのがブサイク、いじって笑いになる感じじゃないのがブス。
男女の問題ではないと思っている。
具体的には宮迫はノンスタイルの井上に対してブスと言う。違和感はない。
彼はブサイクではない、ブスだ。
キングオブコメディの今野は限りなくブス寄りのブサイク、
みたいな境界と捉えている。

そこで割り振ると、自分はブサイクでもなくブスである。
笑いはとれない。

ブスの中でも「雰囲気かわいい」というジャンルがある。
それはかわいいとブスの境界。
写真だけで見たらうーんという子でも表情や動き、声でかわいいになる。
マスコット的なかわいさ、小動物的なかわいさは性別を超えて好感度が高い。
私は雰囲気かわいいの枠にも入れない。
雰囲気かわいいに必要な要素としては、
・声、しゃべり方のかわいさ
・動きのかわいさ
・肌のきれいさ
が3大要素だと断言できる。体型は関係ない。
七難隠すというぐらいにはやはり肌のきれいさは重要だと思う。
色が白ければなおよい。
自分に対してうぬぼれ100%で加点をするとしても動きしか加点できない。
声も肌も大減点である。
結果、凡なブスだ。
体型としても人間の女性としてギリギリのシルエットを保ってきたつもりが、
そろそろ別の生き物に進化してきている。
しかし、それも笑いが取れる程のデブさではない。
凡なブスから凡なデブスへと進化しつつある、というよりしてしまった。

凡なブスという自覚は相応に早くから、親により目覚めさせられていたので、
基本的には個性的なファッションを好んでいても凡さを抜けられない。
それは10代の頃でもそうである。凡な仕上がりを超えられなかった。
凡をメイクでどうにか、という手段もあるのかもしれないけれど、
そういう方向を好んでいないので仕方なかった。

長年のモットーは「人を不快にしない外見」であるはずであるが、
昨今、年甲斐なく若い格好をしている。
二度と着ないと心に誓ったはずのTシャツを着てライブではしゃいでいる。
以前に増して中年さが際立つ体型でありながら、それをしてしまう辺り、
これがババアの図々しさか、と痛感をしていながらやめられない。
許してくれ許してくれと心の中で唱えながらも、楽しむことを優先している。
これがあのオバタリアンの一歩なのだろう。
もはや死語であるが、流行当時オバタリアンと中年女性を蔑んだ世代の女性は
己のことを「オトナ女子」と呼んでいる。
女性というのは、本当に図々しくなるのだ。
31歳も数ヶ月しか残っていないけれど、
「人にあまり不快さを与えない程度の年齢不詳さ」を求めている。
こうやって図々しさが大きくなるのだ。
こんなことを書きながら、改める気がない。
心に秘めるでもなく、書き連ねてしまっている。
これだからババアはタチが悪い。