どちらかといえばの話

どちらかといえば、感受性が強い気がしている。
30年以上生きてきて、未だにそれに悩む。
沢山の人がいるところで誰かに苛立ちをあらわにされたりすると、
自分とは直接関係なくても動揺する。
だから自分は出来るだけ感情の波を抑えるようにしているつもり。
集団において何かに対し違和感や不満を感じている雰囲気に対しての察知が早い、
気がしている。
言いきれないのは鈍いところもあるし、見方が誤っていることもあるから。

元から持っている部分と、幼少期の体験から来るところで、
マイナス方面に対しての敏感さがひどい。
気がする。

物事に対して、メリットデメリット、長所短所を捉えるのは得意な方、
だと思う。
いろんな見方が出来る分、何かを言い切ることができない。
物事の判断に対して絶対的な自信を持つことができない。
だからこそ大きな否定感の中にも肯定できる部分を少しでも信じて、
生きていられている部分もあるんだけど。

今も本当にいろんな人のいろんな感情が入り交じってるのがしんどい。
だけどそういうのを摂取しないと自分が作れないという感じがありまして。

どうあってほしいかとか、どう応援していくのがいいかとか、考えすぎてしまって
このままフェイドアウトした方が自分も楽なんじゃないかな、と思ったりもしつつ、
それでも少し自分のことを認めてもらっているような話をもらったりすると、
ひどく嬉しくて頑張ろうと思ってしまうところとか、よくないなぁって思ったり。
いや、嬉しいし、力になりたいから尽くすけど。

いやー、
30年以上も生きてたって生きるのが上手にはならないもんだね。