こういう考え方をしています。

同期生殺害の事件について。

こういう話が好きじゃない人には本当にオススメしないし、嫌われる可能性も理解した上で書いていますが、私のこと嫌いになりたくない人には読んでほしくないな☆みたいな話を書きます。


問題児の彼女に唯一寄り添ってあげていた、明るくて面倒見のいい子が…
と、いたたまれないことは確かで、親にも責任があることは確かで、
でも、誰か止められたのかというと、きっと難しい。

小学生の段階で、カウンセリングを含めて教育するしか防ぎようはなかった?

資質として共感性がない子供に、それを教育することは出来るのかな?

FBI行動分析捜査班をテーマにした海外ドラマのクリミナルマインドで、5歳くらいの子供がおもちゃを壊されたことに怒り弟に対しおもちゃを口に詰め込んで殺し、それを発見した親が隠そうとして他の人を犯人に仕立てるという話があった。
親は息子には殺意がなかったと捉えていたけど、実際には息子はサイコパスであり、過去にはペットも殺害していて、弟に対しても殺意をもっておもちゃを口に突っ込んでいた。
罪悪感も弟を失ったことへの悲しみの感情ももっていなかった。
捜査官は親に対して「あなた方に問題がある訳ではなく、彼自身の生まれ持ったものだ。自分を責めないで。」と説明をしていた。

もちろんドラマの中のお話。

サイコパスという言葉を使うと猟奇殺人犯、快楽殺人犯を指すように見えるだけど、共感性の欠如は、身体障害と同じように精神的な障害として生まれ持った資質であり、その資質により殺人に至ってしまう例が多いだけと思っている。

障害と捉えると、今回みたいなことをする子(動物虐待から始まり殺人に至る)は一定の割合で生まれてしまう。親を含めた環境だけの問題じゃない。

共感性のなさ故に、好奇心が育つこともある。
自分と他人が同じであると理解ができない。
それぞれの動物の構造が、それぞれの人間の構造が、知りたい。
そのときに倫理観というものを理解できなければ、行動に移すだろう。

共感性の有無、そして好奇心の方向性が将来的に何をするかを予測する指針だと思うけど、危険だと判断したところで、周囲は何ができるんだろう。
肉親であれ、我が身を守ることを優先することを責められるんだろうか。
ただ、我が身を守るために、ひとり放置することは間違っている、とは思う。
でも、親からの愛を共感出来るのかというと、それも疑問になる。
子供の段階でそう指針が見えている子が、何かをする前に受け入れる場所があるといいのかなと思うけど、きっとそれも難しい。
少年院でも、違う。

簡単にどうにかできることじゃない。

誰にでも今すぐ出来ることは、身を守ることだけ。
共感性に違和感を感じる相手とは関係を持たないことだけ。
関係を持つならば、死をも覚悟した上での行動しかない。
我が身の犠牲をもって、資質を変えようなんてことをしても、拘束されることでその後の被害を防ぐことが出来たとしても、資質が変わること考えにくい。
関係を持たないこと、といっても家族はそうはいかない。
犯罪者資質をもっているという事実だけで、家族として縁を切れるわけもない。
そういうことも考えてしまうので、やっぱり子供を産む気になれない。

脳科学のことは分からないけど、脳への刺激で変わることは有り得るのかもしれない。
でも、犯罪者資質を事前に変異させるという行為が許される日が来るとも思わない。


常に一定量の今回のような殺人をする人間は生まれる。
先天的な要因は避けようがない。
そして、起きてしまった事件から影響を受ける人間も一定量生まれる。
それが定理だとも言いたくはないけど、特異なものとは感じなかった。