「あなたのため」は私のため。

いつも気を付けていたいこと。
「あなたのためを思って言ってるんだ」っていう言葉を使わないこと。
周囲がいくら間違っていると思っても、それを「あなたのためだから」という言葉を使って説くことはしちゃいけないと思う。
そういう考え方はおかしいんじゃない?って思うのは自分の価値観であるという意識をもちたい。
結局周囲からのそういう言葉は「おせっかい」の域をでなくて、届かないものだから。
その人のためになると思って言ってることで、「あなたのことを考えているのに私の言葉を聞いてくれないなんて」って思うとイライラがつのる。
考えてくれなんて頼まれてないのに考えている方が悪いといえば悪い。
頼まれてから考えればいい。頼まれたら自分の考え方を言えばいい。
きっとその時にしか届かない。
だから、頼まれてない時には基本的には何も言わないようにしようと思ってる。
もちろんいろんな場面でどうなの?とかいろいろ思うんだけど。
自分の考え方が他の人にフィットするとは限らないし、自分の考え方を無理強いして失敗したら責任を取れるわけでもない。
友達の間でも、輪の中で考え方の相違を見てうーんてなることはよくあって。
あくまで価値観の相違であって、どちらも間違いというものではきっとないんだろうなぁって思う。
自分にとって理解しがたい価値観だなって思ったらもう踏み込まない以上のことはしない、というのが最近の結論。
自分が不快に思わない距離間でのお付き合いを取るのが1番いい。
私自身にとっては。
噛み砕いて噛み砕いて伝えたつもりでも、伝わらない相手には伝わらない。
凝り固まった価値観の人に、別の価値観でのモノの見方を勧めるのは難しい。
自分の価値観を凝り固めなければ生きていけないのかもしれない。別の角度をもつ余裕がないのかもしれない。
自分の価値観にすがっている状態というのは、それだけ生きていくのがしんどい状況とも言えるから、周りの声は簡単に届かないのかもしれない。

あなたのため、とぶつける言葉はあくまで自分が納得したいから。
旦那とそういう話をするたびに「自分が納得する答えが返ってくるまでいつまでも問い詰められるんだから返す言葉なんてない」って言われて、それでまた激高していたけど、でもきっとそう。
他人を自分の考えで支配しようとしていることの傲慢さを自覚する。
あくまで「私はこう思う」の範囲でとどめないといけないし、それで響かなければそれはそれで納得しなくてはいけない。
「こうした方がいいんじゃないか」って言葉は、使いがちだけど難しい。
家族であっても、完全なる理解は得られないのに、他人との関係で出来るわけない。
相互利益の折り合いの付け方、という考え方がいいのかな。

あ、仕事はまた別だとも思うけど。

でも、仕事でも思うことがあっても今は何も言わない。
効率化とかやれることはすごくあるんだけど、自分の範囲を超えないようにしてる。
真っ当に動いているエンジンがない組織で、誰かが少しでもエンジンになってしまうとそれに人が便乗する。
エンジンになっている人を見て、他の人も動力になろうとするのではなくて、エンジンになった人の動力を使って動こうとする。
忙しい人に仕事が集まるという原理。
個人個人が動力として力を出す現場になるというのはすごく難しいこと。
その辺は、周りの考え方を見て自分の身を守るための選択をしていこうって思うようになった。
まぁトライアンドエラーはする方が成長につながるので、人にこのスタンスを勧める気もないけど、でも気が付いたら組織のエンジンになって過積載でつぶれてしまう人も沢山いるからそういう人にはこういう考え方もあるよ、とは伝えたいなーとか思ったりもする。
積載容量はひとそれぞれ、だけど。

人間て面白い。
言葉を使うことでたくさんの理解を得られると同時にたくさんの誤解を生む。
意図した嘘も、意図してない嘘も沢山出来る。
傷つけるつもりがなくてもたくさんの人を傷つけるし、裏切るつもりがなくても裏切ってしまうこともある。
選択を間違うことがない、人を傷つけることのない、そんな聖人にはなれるわけがなくて、いくつになったってトライアンドエラーで生きていくだけ。
みんな人間だってことを主張する割に、何かあれば聖人かのように信じてみたり、クソミソに扱ったりする。
いつまでたってもそういう感じなの面白い。ね。