カジュアルな死生観的なもの。

曾祖母との別れ、友人との別れ、恩師との別れ、祖父との別れ、父との別れ、友人の父との別れ、叔母との別れ。
それなりに別れの経験値がある。
ほぼ20代半ばの段階での経験値。

30を越えてから、同世代での酒の席でも急に葬式の段取りの話や相続の話が増える。
子孫を残す気もないから、早めに終わりたいなぁとは思うけど、それは同世代の友人に惜しんでもらいたい気持ちがあるからかもしれない。
長く生きても惜しんでくれる子孫がいるわけでもないから。
ただ、別に早めに終わりたいとは思うけど、それは自ら終わろうとしたいわけではない。
自ら終わらせた人も、自ら終わらせようとして終わらせられなかった人も身近で見てる。
感覚的なものでいえば、エネルギーが消え失せたときに終わるんだろうなと思ってる。
終わらせたい、という気持ちはもうそれだけでエネルギーだと思っていて、自らのタイミングで、自らのエネルギーを出しきれる人もいるだろうけど、あんまりうまくいくものでもないんだろうなぁと思う。
8割くらい水が入ったバケツを倒しても意外と3割くらい残ってたりする。
勢いよくエネルギーを自らの手で放り出そうとしても、そんなに簡単に全て出ていきはしない。
何かのきっかけで、あるいは自然に、エネルギーがほぼゼロになったときに、あ、終わる。と思うんだろうと思う。
事故はまだ、身近なものとしての経験がないから想像がつかない。
きっと、エネルギーがあっても容器が外からの衝撃で壊される感じは壮絶なんだろうな、とは思ってる。
だから、事故は怖い。

鬱い気持ちではなくて、ニュートラルなテンションでこういうこと考えているお昼休み。

何事にも終わりがあるから尊い。
終わりのない世界にはそれこそ絶望しかない。

日常は尊い。