それでもやるかやらないか

ひとつ前のエントリーは下書きにいたやつで、今書きたかったのはこれ。

映画のピングレを見て、原作を読んで、考えることがたくさんあった。

先生の小説を読む気にならなかったのは、「こんなもんか」を感じたくなかったから。
絶対感じてしまう気がしたから。

映画を先に見て、小説を読んで、率直に言えば映画の方が圧倒的に面白い。
あの構成での映画化の話を受けることは、小説として話の弱さを認める必要があったと思う。
だから、ちょっと感動した。
原作に忠実なものよりもいい作品になることを、素直に受け止めてこの内容の映画で進めるということ。
勇気というのかわからないけど、それは作品を作る上でとても誠実だと思う。
この映画化は、先生の次につながると思う。
エンターテイメントとして弱い部分、演出力、小手先の表現ではない構成力。

もちろん、原作の世界観があるからあの演出をしようと思ったんだろうし、原作あっての映画。
小説は青春時代の描写が長かったこと、女優のカノジョに愛情があったとしていたこと、そこにとても先生のピュアな根幹を感じられてとてもよかったんだ。

今はまだ先生の作品が注目してもらえる理由の大きな部分は内容ではない。
でも、こういう映画化やドラマ化を経て、やり続けることで確実に伸びていくんじゃないかなと思う。

私は昔からいろんな職業に憧れている子供だった。漫画家だったり服飾デザイナーだったり小説家だったり。
なりたい!と思ってもそのための努力とそれを外に見せる勇気がない人間だったから、何にもならずに今を過ごしてる。なりたかった全てを眩しく眺めてるだけ。眩しく眺めてるのに「こんなもんか」と思ってしまう自分が本当に嫌だ。

先生も、元々なりたかった自分にはなりきれなかった人だと思う。でもなりたい自分になれると思って活動を続けてきた。
思い込みきれる人ではないから、やり続けているなかでずっと劣等感はあると思う。
そして、新しく踏み出した小説の世界でも、劣等感はあると思う。それでもやり続けていること、それが全て。

もしかしたら、この映画を受けて筆を持てなくなるかもしれない。
でも単発でもドラマ化して、主題歌を自分の歌い出しで担当することができて、ファンも確実に増えている。
その手応えはあるはず。
「もしかしたら、自分は自分にしか出来ないアイドル像を確立できたのかもしれない」そういう自信がつくとまた輝きは変わるはず。

やりたいことが、向いてることである人は少ない。
それでもやるかやらないか。

でも、やることだけが正しいとも思わない。
やることだけが正しいと言えるのは成功した人だけで、本当に一握りの人だけ。

それでもやらなければ何も可能性は生まれない。

やれるかやれないか。

やれないからダメだというのも多分違う。
映画のなかのサリーは、美大に行っていたのに普通にスーツを着て働いていた。ただ生きること、それを選択していた。そこもわりと個人的には響いてた。

自分に折り合いをつけること。

それもやるかやらないか、やれるかやれないかの選択肢のひとつなんだと思おう。
折り合いをつけられないことで苦しんでいる人もたくさんいるし。
それもひとつの肯定の形。