センスがないからしにたいと思うくらいにはセンスがない。

もう、ものを作る方から離れたいなと思う気持ちが大きくて、デザイナーの求人に応募するけど応募するだけつらい。
自分の限界はわかっていて、圧倒的にセンスがない。
作り出すもののセンスがない。
ある程度の形は作れてもそれ以上のものは作れない。
デザインに関わっているものとして下の中だと思う。
最下層ではないと信じているけど、ダサい層。
知らん会社でデザインの仕事やってたっていうても、ダサいもんしか作ってきてなくて、求められたものを作ってきたとしても、ダサいもんしか作ってきてない。
もともと独創性とかない人間で、独創性を考えなくては見つけられないし、考えても見つけられないし、考えついたものがオンリーワンである自信はない。
そもそも意識が低い。それでもデザインという仕事にすがり付こうという意思もない。
自分がなにか面白いものを作るより、面白いものを作っている人に投資する方が面白い。
自分からみて面白くないものを作っている人もたくさんいるけど、それでもその作っている人は面白いと思っているはず。
それができないならもう誰も面白いと思えるものは作れない。
面白いという物差しじゃなくてもいい。
私が作れるのはある程度の無難なものだ。 ある程度以上のものは出来ない。
たくさんの人をみて思う。
自分からみてすごいと思う人も何も面白いことを仕事にしていなかったりする。
それが現実であって、そういう人より才のない自分がなにか出来るかといえばできるわけがない。
できるかもしれないと言えない時点で決まってしまう。
そこの負荷に自分で勝てない。
本当にだらしないしクソだ。
面白いことをできない。
自分が思う面白いことを自分が面白くやりきれない。
いわゆるプロとして何かしてる人じゃない人で面白い人はたくさんいて、そういう人が発信しやすい時代になって思うことはいろいろあって。
プロとして何かしていることにプライドを持つことも大事だと思うけど、プロとしてじゃなく発信している人より価値のあるものを生み出せなければプロとして活動するのは評価されなくても当然だろうって。
そんなこと考えない人の方が自分のやりたいことをやるだけだ!ってやれるから続くんじゃないだろうか。

そんなことを思う無職の日々、です。

とうとう個人事業の方は廃業しました。
廃業届って本当にあっさり終わるから面白い。

たらればの話っぽい話。

昼間にTLでサークラ経験者が語るヲタサーの姫とサークラの違いみたいなブログが取り上げられてて、そんなに話題になってるわけでもなかったし、それにtwitter上で反応してサークラ自慢をしたいわけでもないし、読むだけ読んでそこからいろいろ考えちゃってるんだけど。
そしてここにもリンクを貼って誘導する気もないんだけど、書きたいから書くんだけど。
はてなブログだったので気になる人は見つけてください。
そのサークラ経験者いわく、みんなに好感をもたれたいだけの行動だったけど、それぞれに対して対個人でそれをするとおかしくなってしまうんだろうという考察。
経験者的にはほんとそれ、って思う。
嫌われたくない、好感を持ってもらいたいって思ってただけなんだけどなんかアレ?ってなってたっていう。
1対1で会う時のこともそう。
自分の話で言えば、「1人じゃいけないから一緒にスイーツの食べ放題に行ってほしい」って言われて、場所がちゃんとしたホテルのラウンジだったから、それなら場に合わせた格好で行かねばといつもよりちゃんとした格好で行ったら誘ってきた相手はとてもそれが嬉しかったらしい。
私は別にその人の前で女の子らしくしたいというつもりじゃなかったのに…って。
姫でいられる人は身のこなしがうまいんだろうなぁと思う。
そもそも双方が男女関係に不慣れであることがクラッシュになる原因だから、一方だけが悪いことじゃないんだけど。
結果的にクラッシャーしてしまったわけだからすごく反省した。
すごく反省したからちゃんと付き合ったつもりだし結果的に結婚したから許して…って気持ちは今もある。
でもなんか、そこでクラッシャーにならずにうまくやりすごせてたらどうなったんだろうなって、考えてみたりしてるんだけど、想像がつかない。
少なくともずっと病んでたのか、あるいは就職がんばって今頃バリバリ働いてたのかな…
でも、女としてはきっと悲惨なことになることしか想像できない。
20歳超えても男性経験がないなんて、ホントに尼になるしかないって思ってたし。
壮絶にピュアな感じで壮絶にかわいい子ならまだしも、見た目も中身も普通以下でそんなんて本当に需要ないからな。
普通の人は「さすがに重いからどこかで捨ててきてほしいよね」とか普通に言う。
年を重ねるたびに重くなるんだ。もはや守りに入ってたんだ。
一応どんな相手でもいいなら捨てられてたんだろうけど、そうなれなかった。しょーもないヤツ(バンドマンにもなれないフリーター)とホテル前で押し問答したことはあるんだよ。塚本高史似の奴だったからそれ以降塚本高史わりと苦手だよ。
本当にネタにも出来ない。男の方がまだネタになると思う。
(だからアイドルも20歳超えても処女キャラなの基本的にはかわいそうだと思うから、そこは18歳以降は暗黙の了解ゾーンにするのが健全だと思ってる。)

そういう意味では、結果的に周囲に迷惑をかけてしまったけども、付き合えてよかったんじゃないかって思うし、よく付き合ったな!って思うし、よく結婚したな!って思うし、よく離婚しないな!って思うし。
わりとね、なんだかんだ相手のこと言っても、自分も本当にダメ人間なんだよなーって。
基本的に片づけられない人間だし、掃除もマメじゃないし、正社員でもない。(その職もなくなる)
限りなくダメ人間同士、ともいえる。

当時あの場所以外で委縮せずに性差関係なく仲良くなれる場所なんてなかったし、作れる気もしない。
結局今も同じでドルヲタ属性の人が基本的にすごく好き。
モノを趣味にしてる人より、やっぱり人間相手の趣味だから、一応はちゃんとしてる人が多いと思ってる。
ガチ鉄の方とかになると無理だなーって思うしガチ2次元も無理だなーって思うし。
今は本当に男女関係なく面白い人とか尊敬できる人が周りにたくさんいて、仲良くしてもらえてすごくうれしい。
もう別にこの年だし既婚だし気にしなくてもいいんだろうけども、それでも気を付けてヲタクの輪の中に居続けていきたいなってすごく思ってる。
周りの人に特別好かれたい好感をもたれたい、よりは、特別好きでも嫌いでもなく、まぁいてもいいと思われる感じでいたい。
基本的には迷惑をかけないように、気を使ってるつもりにならないように、深入りしないように、楽しめる範囲で。

ぼんやりとそんなことを考えていますが、これといったオチはありません。
結局ドルヲタ最高だなーって話です。

大人の世界はどこにでもある。

9月1日を諸々の理由で休んで、(有給届には、私用につきとして)
9月2日に出勤したら呼ばれて、経理の人と社長から契約終了のお知らせを頂く。
わりと急すぎますね?なんだけど、へーそうですかーみたいなテンションで。
基本的に今の仕事には全く思い入れも情熱もないし、2年間本当に一人部屋で楽をさせていただいていたので、あぁ、長い休みが終わってしまうのか、みたいな気持ち。
ただまぁ、理由を言われたけどもすでに後任が決まっているということにちょっと違和感を感じていたんだけど、どうもやっぱり大人のやり取りがある。
8月に恩師に喧嘩を売っているという記事を書いたけど、その件が絡んでるように思う。
今の会社を紹介してくれたのがその恩師で、前任の方を弾き出す形で私が契約社員として入社した。
今年入ったくらいから、その人の前での態度が良くなかったからか、最近すっかり元気がないとか、覇気がないとか、いろいろ言われていたなかで、喧嘩を売ったわけで。
それに対しては、「仰ることはごもっともです。改めて今一度考え直します。」みたいな返事がきて、結局それまでの作業分に対しては報酬もなく終わりに。
そのメールの中で「文章の中に軽蔑のようなものを感じましたことをお伝えします」と書かれており、それに対して返信はせずやり取りを終えてしまった。
その返信がなかったのが激昂に触れたのかは分からないけど。
「あんな性根が腐ってしまった奴を雇っていたらダメだ。すぐにでも新しい人材でちゃんとやらせるべきだ」と言ったのか、「お前の会社が、彼女をあんな覇気なくしてしまったんだぞ。体調も悪いみたいだし、すぐにでも解放してあげなさい」と言ったのかは分からないけど、とにかくその恩師から社長は後任の人をすぐにでも雇えと言われたんだろう。

その通達も全社員に伝えられているわけでもなく、社内の一部の人間に対してのみメールでされたらしい。
そういう会社なので、まぁ、執着するつもりもなく。
改めて、申し訳なさげに経理の部長さんだけが、急なことだけど聞きたいこととかないかと、訪ねてきたけど、問いつめる気もなく。
困るよーっていう営業さんもいたけど、すぐにどうにでもなる。

やはり人の手を借りるというのはこういうことだよなぁと。
とにかく沼から抜けたかったから頼って、いい加減ブラックな洗脳が解けた気がした結果、外から見るとあぁこの人もこういう感じなんだ、と気づいてしまった。
何事も経験で勉強だなぁ。

あまりにも区切りのタイミングがよくて、ヲタクとしてのスタンスを改めるべきタイミングってことかーなんてことも思ってる。
2年間、本当にヲタクとして充実した生活が出来て楽しかった。
これから、どうしようかねー

ちょっと真面目な話。

モテるということと、性的な需要があるということは違う?
そもそもモテって何?性的な需要って何?ってところから人と議論をしたい。
自分の中では、違うものなんだろうなって思ってるんだけど。

いわゆる「高嶺の花」はモテるけど性的な需要はそんなになくて、
「抱けるブス」は性的需要はあるけどモテるわけじゃない。
なんとなく、そんなことをふと思ったりしたんですよね。

男性的な感覚も分からないし、女性的な感覚も分からない。

自分には性的な需要があったということか?と思う時期があり、
でもそれは確実にモテとは別のものだったと思うんだけど、
そもそも性的な需要というのは性的な暴力の対象はまた別なのかな?
というような話。
いわゆる性的な暴力と明言されるような体験とも違うんだけど、
なんだったんだろうな、ということはなぜかいろいろある。

基本的にそういう話ってしにくいからしないんだ。
おめーの性に対しての考え方とか体験談とか心底興味ねぇわ!
っていう感じだろうし、そうじゃなくても、
何なの欲求不満なの?って思われるのも嫌だし、
ヲタサーの姫的フォローが欲しい訳でもないし、
メンヘラ的自虐プレイでもないんです。
フラットな疑問。疑問は疑問。

痴漢をする人は膜でどうのこうのっていう記事を読んでから、
ぼんやりこの疑問をずっと浮かべてる感じ。

無邪気な情熱とは。

仕事で恩師に喧嘩を売っています。

いやまぁ、いただいた企画の、提示金額に対して作業範囲のご確認をしただけ、といえばだけ、なんですが。
言った言わないの話になってしまったので、自分に不備があるのでそこはもう置いておいて。
作業範囲をご確認したところ、「仕事を始めた頃の無邪気な情熱は何処へいってしまったんでしょうか、」と返信が来ました。
要は、昔は無償だろうと積極的に作業をしてくれてたじゃないか、ということなんですが。
まぁ、その結果、何にもならなかったから、このような対応になっているんですね。
取り組みに対して、勉強という言葉で無償作業になってしまうからモチベーションを保つこともできず。
個人事業主としてお話を頂いてお手伝いさせて頂いていることが、平たくいうと新商品開発なので難しいんですよね。
市場に出なければお金が発生しない。
それは理解しているんですが、だからこそ、企画に対して賛同できるか否かで動き方を変えてもいいと思うんです。

以前、お手伝いさせてもらったときは、企画に対して賛同できたし、開発に価値を感じたのでかなり頑張って動いた。
結果、発売を前提にいろいろ話をつめるところまで来たけど、発売に至らず。
既存のものを変えていくのは本当に大変なこと。
会社のトップがやるといっても、現場がNOと言えば止まる。小売店が納得しなければ販売されない 。
それでもトライし続けなきゃ変わらないんだけど、変えるためにはものすごい説得力が必要。

一般消費者が手に取る商品、特に食品は、一般消費者が納得しなければ売れない。
今あるものより、明らかに便利で、明らかに安全で、値段が変わらない。
そうでもなければ新しいものを買ってくれない。
単価が安い商品は単価がやっぱり最優先。
打開するにはシェアの明らかに大きい業界大手が動くことしかないんじゃないかなと思って。
それもメディアを使って宣伝しなくては気づいてもらえない。
変えようと動ける業界大手はたくさんの可能性を検討して、時間とお金をかけて開発をしてる。
外部の素人が小手先の技術と思い付きで開発してもデザイン性も機能性も敵わない。
というのが、私の中での結論であったんだけど。

今回あったお話は、とあるパッケージのシェア日本一の会社に対抗するための商品として、そのシェア日本一の商品の一部を変更したものを考えた、という話。
これの意匠、特許抑えればあの会社もうちを通さなきゃ使えないから、と。
どれだけ画期的なお話なのかといえば、自分の手持ちの駒での話。
実現化させるための技術的には、世界的な大発明を必要とする話。
見た目も利便性も今よりどう聞いても悪いのに、既存のシェアを覆したい。
そういうお話だったので、消費者としてこの企画にメリットを感じない旨は予め伝えて、その上でとりあえずこの絵を描いて、から始まったという感じの話。

既存の商品に対しての敬意がないものってやっぱり勝てないと思うんですね。
商品だけの話じゃなくて、サービスでも。今の主流が、どうして主流なのかを過程を踏んで理解しないと、それを越えるものなんて作れない。

アイドルの話に無理くりしたいわけでもないんだけど、未だに毎日どこかで新しいアイドルが生まれて、っていう時代で思うけど、主流に対しての正しい分析なく、規格外のものが主流を凌駕出来るわけがない。
規格外には規格外としての明確なコンセプトに説得力が必要。
主流がやってないことやりまーす!なだけで面白いと思ってもらえるなんていうのは、あまりにも考えが足らなすぎる。

なんて、そんなこともぼんやり浮かんでしまったお話。
個人事業主向いてないわ。

「あなたのため」は私のため。

いつも気を付けていたいこと。
「あなたのためを思って言ってるんだ」っていう言葉を使わないこと。
周囲がいくら間違っていると思っても、それを「あなたのためだから」という言葉を使って説くことはしちゃいけないと思う。
そういう考え方はおかしいんじゃない?って思うのは自分の価値観であるという意識をもちたい。
結局周囲からのそういう言葉は「おせっかい」の域をでなくて、届かないものだから。
その人のためになると思って言ってることで、「あなたのことを考えているのに私の言葉を聞いてくれないなんて」って思うとイライラがつのる。
考えてくれなんて頼まれてないのに考えている方が悪いといえば悪い。
頼まれてから考えればいい。頼まれたら自分の考え方を言えばいい。
きっとその時にしか届かない。
だから、頼まれてない時には基本的には何も言わないようにしようと思ってる。
もちろんいろんな場面でどうなの?とかいろいろ思うんだけど。
自分の考え方が他の人にフィットするとは限らないし、自分の考え方を無理強いして失敗したら責任を取れるわけでもない。
友達の間でも、輪の中で考え方の相違を見てうーんてなることはよくあって。
あくまで価値観の相違であって、どちらも間違いというものではきっとないんだろうなぁって思う。
自分にとって理解しがたい価値観だなって思ったらもう踏み込まない以上のことはしない、というのが最近の結論。
自分が不快に思わない距離間でのお付き合いを取るのが1番いい。
私自身にとっては。
噛み砕いて噛み砕いて伝えたつもりでも、伝わらない相手には伝わらない。
凝り固まった価値観の人に、別の価値観でのモノの見方を勧めるのは難しい。
自分の価値観を凝り固めなければ生きていけないのかもしれない。別の角度をもつ余裕がないのかもしれない。
自分の価値観にすがっている状態というのは、それだけ生きていくのがしんどい状況とも言えるから、周りの声は簡単に届かないのかもしれない。

あなたのため、とぶつける言葉はあくまで自分が納得したいから。
旦那とそういう話をするたびに「自分が納得する答えが返ってくるまでいつまでも問い詰められるんだから返す言葉なんてない」って言われて、それでまた激高していたけど、でもきっとそう。
他人を自分の考えで支配しようとしていることの傲慢さを自覚する。
あくまで「私はこう思う」の範囲でとどめないといけないし、それで響かなければそれはそれで納得しなくてはいけない。
「こうした方がいいんじゃないか」って言葉は、使いがちだけど難しい。
家族であっても、完全なる理解は得られないのに、他人との関係で出来るわけない。
相互利益の折り合いの付け方、という考え方がいいのかな。

あ、仕事はまた別だとも思うけど。

でも、仕事でも思うことがあっても今は何も言わない。
効率化とかやれることはすごくあるんだけど、自分の範囲を超えないようにしてる。
真っ当に動いているエンジンがない組織で、誰かが少しでもエンジンになってしまうとそれに人が便乗する。
エンジンになっている人を見て、他の人も動力になろうとするのではなくて、エンジンになった人の動力を使って動こうとする。
忙しい人に仕事が集まるという原理。
個人個人が動力として力を出す現場になるというのはすごく難しいこと。
その辺は、周りの考え方を見て自分の身を守るための選択をしていこうって思うようになった。
まぁトライアンドエラーはする方が成長につながるので、人にこのスタンスを勧める気もないけど、でも気が付いたら組織のエンジンになって過積載でつぶれてしまう人も沢山いるからそういう人にはこういう考え方もあるよ、とは伝えたいなーとか思ったりもする。
積載容量はひとそれぞれ、だけど。

人間て面白い。
言葉を使うことでたくさんの理解を得られると同時にたくさんの誤解を生む。
意図した嘘も、意図してない嘘も沢山出来る。
傷つけるつもりがなくてもたくさんの人を傷つけるし、裏切るつもりがなくても裏切ってしまうこともある。
選択を間違うことがない、人を傷つけることのない、そんな聖人にはなれるわけがなくて、いくつになったってトライアンドエラーで生きていくだけ。
みんな人間だってことを主張する割に、何かあれば聖人かのように信じてみたり、クソミソに扱ったりする。
いつまでたってもそういう感じなの面白い。ね。

日本における最大宗教はエンターテイメントかなと。

エンターテイメントは宗教化すると長続きする。

わしから見りゃナガブチだってサザンだってB'zだって長く続いてる宗教だしミスチルゆずバンプアジカン等々のロキノン系バンドもぱふゅーむもももくろも宗教だ。ジャニーズも宝塚も宗教。

端から見たら代わり映えのないものをやり続けているミュージシャンはたくさんいて、大いなるマンネリが宗教として信仰するには心地よいのではないかなと思う。
新しいことをするとヲタクは戸惑う。いい裏切りもあることもあるけど、多くの人は刺激よりも安心感がほしい。 カリスマは同一のカリスマであり続ければよくて、世間の流れに乗りすぎるとカリスマ性が薄れ信仰者が減る。 そうはいってもその人がステージいる限り希望であると感じる人がいるから宗教としては存続し続ける。 そうなったときにはその他大勢に理解される必要はないと信仰者は感じている。

日本における各種の趣味娯楽文化の市場の大きさは、無宗教国家だからこそだと思う。
強い信仰心が求められる宗教の場合、ミサや礼拝などに時間やお金を定期的に使うことを求められる。 お金を支払い、時間を神に使うことで、御加護があると感じて信仰者は精神の安定を得られる。日本には国としては政教分離が唱われ、信仰の自由が定められているし、特定の宗教に対して強い信仰心を持つ家庭は少ない。 だけど自分にとっての信じるべきものというのはやはり人間にとっては必要なものであって、家族という括りの中での家長の立場が旧来の日本では家庭の中での神であったのかもしれないなーなんて思ったりもする。

なんでも宗教になれるわけじゃなくて、宗教になるには色々な要因があるけど、増える信者を受けとめる器が1番大事かもしれない。受け止めなくてもいいけど、受け止めないならぶれない芯。規模が大きくなればなるほど沢山の期待や中傷が大きくなっていくわけで、それに潰されずにいられること。フォローできる周囲の人間と矢面に立つ人間の強さ。そこまでのものはないことが普通で、運が味方して人気が出たとしても、急に大きくなったものに潰されてしまうことはよくある。強い宗教性があっても運を掴めないものも沢山あって。それこそ一部の人間のなかだけでずっと続いたり、伝説になったりする。

女性アイドルは花を楽しむものだと思っているし、その花は少女と女性の過渡期のものだと思っているので、長く続くことが正しいこととも思ってない。ステージに立つアイドルの子の花が、適正な量の信者に愛でてもらえることが基本的には幸せなことだと思ってる。 適正な量の信者が燃え尽きていくのとステージに立つアイドルが花を散らしていくのとが同じくらいのタイミングであればいい。 実際には外的要因によりきれいに咲いている途中で切り取られてしまったり、信者の熱量があがっていく前に花が散ってしまったりする。 なかなかタイミングが合わないから、アイドルも信者も簡単に成仏できない。
3年くらい楽しめる切り花くらいの気持ちでいるのがいいのかな。
大事にすると長持ちするけど、普通であれば3年。
きれいに咲いているときに「もっと沢山の人に見てもらいたい」って思うんだけど、それは適正な量には足りてないと思うからで、でもそれは決して爆発的な量ではなくて、適正な量がほしい。今の花の美しさに合う量。

アイドルがただの花から宗教に化けるときは、周りの人間による仕掛けが1番大事で、その仕掛けをこなせるかどうかで変わるのかなって思ってる。
自分の好きなものが大きな宗教になるとは思ってない。
ものにより、長く続くカルトになればいいなとは思うけど。(大森さんとか
アイドルのみんなには気持ちよく燃え尽きてもらいたい。

なんてな。なんてな。情緒不安定だよ全く。