オトコとオンナと子供と家族と他人

たぶん、日本には人間という生き物のなかで、パッと見で「オンナ」が嫌いな女性という人種が一定量いる。

パッと見で異性に媚びてる、女性であることを利用してると判断したオンナに対して異様に厳しく、嫌悪感を隠すこともない。

そして、そういうオンナをもてはやすようなオトコに対しても嫌悪感をもつ。外見がよくない人はもちろん、外見がよくても「残念」と言われることが多い。

 

某メンバーの件で、いろんな意見が飛び交っていてまぁ当然なんだけど、被害届を出した側に対しても心ない言葉をそこらに撒く人の半数以上は前述の人種だと思っている。

 

少し前にmetooに乗じたコラムニストが叩かれたりしたのも同じように感じている。

姿を見せる必要のないオンラインではより同性間のハラスメントは過激になる。

 

もちろんこのときのハラスメントについては「オンナゴトキが」という男性からの反発も大きかったと思うけれど。

 

わたしは女子アイドルが好きだし、身の回りにもそういう同性の友人が多いから、かわいい子も女の子としての武器を磨く子も好きだという子が多い。

でも一定量いる。

言い切れるのは自分の母親がその人種だからだ。

幼少期からメディアに出るオンナに対して嫌悪感を隠すことがなかったし、父親がテレビを見ながら女性タレントに言及するだけで、食卓の空気が冷え固まるような家庭だった。

母親がそうなった理由は、家庭を省みず仕事と外のオンナに夢中だった夫のせいだ、というのがきっと彼女の主張。

 

そういう家庭のなかで育った我が兄妹は、家庭のなかでオトコらしさやオンナらしさを出さないようにずっと育ったと思う。

もう40手前の兄は未だにいわゆる浮いた話を全く見せることがない。

 

 

母はとにかく子供がオンナになることを嫌がっていた。

 親の嫌がる何かになるという恐怖はきっとあったし、「自分は人間ではないのかもしれない、どうしたら人間になれるのか」という感情もこれに繋がっているのかもしれない。

 

なのにわたしは、何故か異常に性的な需要があった時期がある。性的な捌け口としての需要。

小学校1年から中学校の間。

何故かわからないけど、小学校1年入学すぐから同じクラスだった3年の間、ひとりの同級生からわりと執拗ないたずらを受けていた。小学3年でも、そういう傾向の子はふたりになったら襲ってくるしトイレに逃げ込むことになる。高学年の頃もなんかいろいろある。

中学に入ってからは毎日痴漢列車に乗っていたし、駅でお兄さんに声かけられいきなり肩を組まれ連れ回されて雑居ビルに、みたいなこともある。

高校に入ってからはすっかりそういうこともなくなったけど、満員電車でスカートをティッシュがわりにされたことは未だに人生で1番の屈辱ではある。

その時期に普通にモテたことはない。それ以降もモテがあるわけでもないけど、ただひたすらそういうことがあるだけだった。

もちろん親に相談したこともないけど、連れ回された話をラジオのネタにしようと書いてたものを勝手に机をあさって読んで「これは事実なのか。こんな作り話作る意味分からないし事実なんだろうけど、なんで言わなかったのか。」と母親にひどく怒られた。スカートを汚されたときは言うしかなかった。淡々と学校で制服借りれてよかったと話したら、淡々と受け止めていた記憶がある。どちらも母親のなかで処理されて、父親には共有されていなかったと思う。

日常でも痴漢くらいは普段でも軽くネタにするけど、痴漢以外の話は滅多にしない。 

 

生理も早い方だった。学校で説明を受ける前だったし、よくわからながら迎えたその事態に、自分は絶望した覚えがある。親に知られる恐怖で家出を考えたくらい。自分で何も言わずにいたので怒られた。当たり前の話でもある。

 

 

自分のことを書いてmetoo的なことをしたいわけじゃない。でも、いろんな感情が沸きすぎて整理ができなかったから書いている。

 

 なにがしかそういった経験がある人にとって、その記憶がなくなることはないし、何かあれば、いろんなことを思い出す。

防ぐ手段も何かあったかもしれない、でも誰かに助けを求めるなんて実際難しい。その場で頭が明瞭に動くようになるまでには相当な回数同じことがなければ無理だと思う。痴漢に対しては日常だったから最後には刃を抜いたカッターを持ち歩いて痴漢してる手に当ててカチカチと刃を出すような振りをして遊ぶ余裕があったけど、まぁそんなの日常である方がおかしいはず。

出来事があり得ないことであればあるほど、信じてもらえる気もしないし、何でお前が?と言われるような容姿であればなおのこと言えない。

オンナに嫌悪感を抱く人にも、オンナゴトキという感覚の人にも知られてはいけない。汚いものを見る目で見られるだけ。

 

こういうことは、特別な人にだけあることではなくて、大人から子供だけではなくて、子供と子供でも、大人と大人でも、家族と家族でも、オトコとオトコでも、オンナとオンナでも多分ある。

 ただ、こういうことがあれど口にしたらもう「そういうことをされるような人間」として見られるようになる。かわいそうな人という扱いになる場合もある。

自分の経験はなんだかんだ逃げられているし、いきなり色を失うようなショッキングなことでもないけれど、ただ、何もなかったようにはならない。この手の経験のほとんどのことを、長年の友人にも話してはいない。多感な時期に気軽に口に出来ることではない。

もうずっとずっと昔のことで、20年くらいインターネットをしていても面白おかしく詳細を書くほどの勇気は出ないくらいだから、簡単に気持ちの処理できない人はたくさんいるだろう。処理ができていない人が、被害を公表する人に対して嫌悪感を抱くこともあるのかな…「つらい思いをしたのは自分だけだと思うな」という感情になる可能性もある気がする。

 

どんな立場であれ、自分の欲や衝動を身勝手に人にぶつけて人生を傷つけることを正当化していいことはない。それが、ほんの出来心の軽いものであったとしても。

 ただ、爆発的な欲を持って生まれてきてしまう人もいる。社会的に許されざる欲を持って生まれてしまったり、許されざるものに興味をつよい関心を持ってしまった場合は、残念だけど、社会のなかで生きていくためにはその欲と折り合うための努力を続けなくてはいけない。多分、世の中の何割かの人はずっと爆発しそうな自分の欲を飼い慣らしながら生きている。多様性を認める世の中に向かっていても、倫理的に許されざる欲は許されざる欲のままでいるしかない。

 

今回の件は、きっと、そういう欲というよりは、別の心の弱さと向き合えなかったことが、きっと問題な気はする。

自分の心の弱さと向き合えない時に、周囲の心配する声が、周囲の理解のなさに感じて勝手に孤独を深めてしまうことはよくある。孤独な心の隙間を埋めるように、より酒の快楽に依存していく。そしていろんなブレーキが壊れてしまっていても気づかない。どんどん真っ当な判断が出来る状態でいられる時間が短くなっていてもそれに気付けない。破壊的な衝動が強くなっていく。身近な人の怒りは、きっとそこへの怒りと空しさからくるものもあるような気がする。

 

わたしは、いつからか「性別を返上したい」とずっと思っている。

毎月の生理に伴うPMSから生理痛が煩わしいのもあるけど、それだけでもない。

あまりにいろんなことがあるし、ささやかなことでも性別なんてなければいい、と思う。

必要な人は必要でいい、不要な人は不要でいい。

子供を産む、ということも、人間を育てるということも、性と繋がってなければその意思を放棄しなかったかもしれない。 

 いろんなことがあってもオンナとしての欲がある自分が気持ち悪くて、どこかで衝動的に踏み外していたら本当に全く違う生き方をしていたかもしれないという恐ろしさも、全てまとめてなくしたかった。

もはやオンナとして認められたい欲はなく、ヲタクとして一方的な愛情を傾けることで消化されているので穏やかだけれど、それができるようになる前はいろんな感情にのまれることも多かった。

 その人の思うオトコとして、オンナとして、人間として、堂々と生きている人は美しい。

 

ひとつの価値観としての、ただのひとりごと。

踏み外せばすぐに手元からなくなる日常をみんな必死に生きてる。

やっぱり現実はどんなフィクションより残酷だしいろんなことがあるんだ。