別れのはなし。

父の命日です。

心臓の動きが極端に弱くになると人間の内臓は血が十分に行き届かなくなりどんどんと機能低下をしていく。

当たり前のように体内の内臓で行われている消化や循環を、機械に頼ろうとするととてつもなく大がかりな、臓器の数倍の大きさの機械が必要になる。そして、その機械を通すと血液の中の成分はすぐに壊れてしまいその機能を果たせなくなり、絶えず輸血をし続けることになる。

父の闘病期間は約3週間だけど、その間に血は何度も完全に入れ替わっていたと思う。

祖父は何度めかの脳内出血で倒れたあと、寝たきりでほぼ意識はないながら4年くらいは生きていた。

人体の生命維持は心臓と内臓によって保たれているんだな…と機械に囲まれた父の姿を眺めながらとても実感した。

フル装備の患者はなかなかいないので…ということで、研修医などが父を囲んで病院の資料用に写真を撮られたということも私の人を選ぶ鉄板ネタのひとつ。

アンナチュラルの1話で「9割は名もなき毒」みたいな台詞があったと思うんだけど、ウイルスもそう。インフルエンザみたいに特定されて、薬があるウイルスなんてほんの一握りで、ほとんどのウイルスは名もなきウイルス。1話を見ていて「ウイルス性の心筋炎だけど、特定は出来る菌ではないと思うし、特定してもどうにかなる段階ではないです」と最初の病院で言われたことを思い出した。

予防注射などで備えられるものは少なくて、対処できるものも少なくて、目には見えない。母は中国で…といっていたけど、それも全くわからない。

 

人生観を変えるのはやっぱり別れが大きい。

父が人工心肺を取り付けた後、家に帰って「どうなったとしても、もう日常に戻ることはない」ということに絶望して泣いたけど、死後それ以上に泣いたことはない。

日常生活がどれだけ尊いものか、五体満足で生きられていることがどれだけ奇跡的なことか、みたいなことを痛感したし、某さんま氏の座右の銘「生きてるだけで丸儲け」という言葉が理解できるようになった。

とはいえ、すぐにいろんなことが整理できたわけでもないし、それから数年間は自分自身のだらしなさにクソみたいな生活をしてしまったし、でもそのクソみたいな生活もいい経験だった気がするし、でも本当に年々生きてて楽しいなと思うことが増えてきた。

しかし、あと16年生きたら父の年齢になるのか…と思うとすごく不思議だ…

多分あっという間なのかな。その16年の間にいろんなことあるだろうけど、16年は生きていられたらいいな。