巣立ちか共存か

ぐちゃぐちゃな気持ちから書いた前のブログから、毎日いろんなことがあり、
正しく言えば、一方からのみ刻一刻と変わる主張が行われており、
それがどういうことかということなのか。

以下、大変ネガティブな発言が続きますので、続きを読む機能など使おう。

この記事、連携させる気ないので、Twitterで触れないでもらえたらありがたい。


賢者モードみたいな、きれいなジャイアンみたいなツイートをしていて。

それがこわい。

爆発からの我に返る速度が速い。そして度合いが大きい。


まだ波は高いよ。

この波が低い方にすぐ向かったときに、みんなが絶望しないことを祈りたい。


ひとつの懸念、自分の攻撃的な発言を削除したということ。
これにより、自分の攻撃的な言動に対して、
「自分はそんなこと発言してない」
と主張ができてしまう。
もちろんスクリーンショットを残している人もいるとは思いますが、
本人の記憶の中からは消えてしまう可能性が高い。
言動の推移をそのまま医者に見せることが診断の上では非常に有効だと
思っているので、数日間の一連の攻撃的な部分を削除してしまったことは
「境界性」あるいは「自己愛性」の部分を意識的、あるいは無意識的に
隠ぺいしてしまう行為をしているとも捉えられる。
本当は爆発時に立ち会った人が一緒に病院へ行くことが1番だと思う。
本人は経緯の説明ができないから。
本人の記憶の中ではいろんなものが消されてしまうから。
誰だって自分のひどい状態は隠したい。ちょっとでもよく見られたい。
逆に盛る人もいるけど。
本当にちゃんと病院へ行ってくれたらいい。
ちゃんと診てくれるところで、ちゃんと診てもらう姿勢で。
薬では治らない、ある程度の安定はとれるようになるだけ。
ある程度の安定を自分で維持していくか、大きな痛みを伴う治的な治療をするか。
自分の「境界性」あるいは「自己愛性」的な性質を認知してもらえたらいいなとは思う。
認知しても変えられるかというと、難しい話なんだけど。

引いていく波に、触れられなくなることに、自分のいないところで進んでいく物事に、
恐怖と孤独を感じて引き戻したくなったのか、
自分の楽曲を以前と同様に歌い、以前と同様にみんなが楽しんだことが嬉しかったか。
後者な気がしている。

個人的には、この機会にある程度の線引きをする方向で進めるべきだとは思う。
このままなんとなく円満解決という雰囲気になれば、また、優しさに甘え、
同じようにいつか爆発する。
楽曲を使用し継続していくにしても、責任をとれる位置に誰か置くべきな気がする。
こんな爆発の恐怖を常に脳裏において活動するのは負担が大きすぎる。
強く責任を感じてしまうことも、共依存になるので避けてほしい。
ただ、これは私個人のエゴ。
ステージに立つ彼女の意思に任せるより他に手段はない。
ただ、自分も含め、彼女のことが好きすぎるから、彼女に継続を求めすぎてしまう。
それが彼女を縛ってしまうなら、それもまた違う気がしている。
ファンのために自分がいる、という思考になってしまうことも、少し怖い。


まだ、ライブを見ていないから、整理は見た後でしよう。
そこで感じたことがきっと正解だと思う。