クズ担をやめようと思った理由。
クズしか愛せないといい続けてきたのに大倉さんを過去の男に据えることに決めた理由としては、自分のクズ好きは自分のクズさを肯定するためのものであるということにつらくなったから。
どういう嗜好であれ、好みの異性なんていうのは結局自己肯定のためのものなんだろうと思うけど、楽さより、ちょっと背筋伸ばして己を正していこうという気持ちになってしまった。
ハタチになって半年くらいの男の子を見ていて、真っ正面から努力して輝く彼を、真っ正面から受け止めて応援できる自分になってみるのもアリなのかも…って思ってしまった。
そのうちやっぱり無理ーってクズを担当しだすかもしれないけど。
ちょっとそういう、自分のお試しみたいなところが強かったりする。
とりあえず、コタソン見習って整理整頓、まめな掃除から始めます…
心地がよい場所があることは幸せだと思う。
流行りのフリマアプリをはじめました。
完璧主義者の完璧の落としどころが気になる。
私は完璧主義とは真逆の人間で、むしろ物事を白黒に割りきることも何かキッチリ収めたりキッチリドアを閉めることもあまり好きじゃない。実家にいるときから部屋のドアを中途半端に閉めること(ガチャンと言わせないこと)に対して気持ち悪がられる。
それでもやるかやらないか
客観的に自分を形容されること
うちの子は猫だから親ばかになれる。
昨夜、猫に腕枕をしながら寝ていてふとそんなことを思った。
お兄ちゃんだった子は冬場は足元に入って寝てたけど、今の坊ちゃんはいつも私か夫の腕の中で朝まで寝てる。
少なくとも2匹ともずっと寝室で一緒に寝ていて、枕元で寝ているか、足元か、腕の中で寝ている。
だからこそ子供って意識が強いんだろうなと思う。
本当にかわいい。うちの子本当にかわいい。
アタマいいんだか悪いんだかわからないけど、いろんなとこ勝手に開けて入っちゃうし、いろいろ食べちゃうし、噛むし、蹴るし、掘るし、だけどかわいい。
「うちの子、かわいいんですよ」って心の底から思って誰にでも話が出来ちゃう。
でも、これは猫だからなんだろうなって。
実際に自分の子どもだったら、そうは言えないんだろうなぁって思う。
欠点が全て自分の生き写しのように感じるだろうし、いいところを素直にいいと言うこともできないかもしれない。
人から褒められた時に「いやいや、ホントは○○で。困っちゃうんですよ。」って言ってしまう気もする。
そういうことをしては子供の親への感情を怖がって、お互いに疑心暗鬼を深める。
多分そうなる。
自分から産まれた人間を育てるって、私には無理だ。
子供は猫。
そうすることで成り立つんだわ。夫婦としても。
いいことじゃないんだろうけど、それも選択肢でしょう。
お互いに健やかに生きることが目標だから。
やっぱり心音を感じて、体温を感じられる存在が身近にいるということは、心が安らぐ。
ふわふわして、柔らかくて、かわいい。
猫と生活していて、本当に幸せだなぁって思う。
ただそれだけなんですけど、本当にかわいい子に出会えて幸せ者だ。