客観的に自分を形容されること

あんまりないんだけど、年に何回か占いに行ってみたくなる。その時は何か悩んでるというより漠然とした「自分を誰かに客観的に形容してもらいたい」という気持ちからだと思う。
あんまり人から「○○ちゃんは○○だよね」と言われることがない、ような気がする。自分がいないときに人の話題にあがることがあるようなタイプでもないと思う。
自覚のある性格としては、突き抜けた部分が何もない中途半端の極みで、本当に面白くない。
清々しさとか、真面目さとか、熱さとか、何もない。
普通の人間だから当たり前だな、と思いながら、普通とはいえどうなんだろうとたまに思う。
第一印象がいい人になりたいなという気持ちもあるんだけど、外見のプラスのなさを取り返せるほどいい人にもなれないというか、そこまでの意識の高さがない。
自己防衛であってもピエロをやれるタイプの人は尊敬するし心配もする。

たまに占いでも行って、なんとなくぼんやりとした客観的形容をされて、なんとなくの自己定感を得たいなとか思うけど、○○な人という形容詞と肯定感が得たいだけだよな、と思うとなんとなく落ち着く。

みんな誰かに自分の形を確認したいよね。
どう見えてるか、教えてほしい。
よく見えるように努力してる人たちがたくさんいるなかで、努力もせんとのらりくらりしてるわけだから、よく見られないのも当たり前。
面白くないところも、突き抜けないところも、長所と思えば長所かもしれない。

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久しぶりにこっちのブログを見たらこんな下書きがバックアップされた。

形容されるほど突き抜けられないのは卑怯者だからだよ。
臆病より卑怯なんだ。
あわない人とぶつかりたくないし、否定されるのも嫌なんだろうと思う。
削られることが嫌だから、削られるほどはみ出ない。
でもこれはこれで生きていくための選択なんだよ。

って言い聞かせて生きてる30代。
なんとなく「それでも生きていたいタイプ」なんだなっていうのも30代になって気づいたところかもしれない。
何にもなれなくても、何も残せなくても生きていることに意義を感じてるというか、生きてるだけで面白いことがたくさんあるんだもんなぁ。現実ほど夢みたいなものはないね。2016年すごく思ってる。