水が合うとか合わないとか

やっぱり人間も生き物だから、魚と同じで生きていける環境ってそれぞれあると思う。
淡水でとてもきれいなところじゃないと生きていけない魚もいるし、ドブ川でも全然問題ない魚もいる。
海水でも温かいところだったり、深海だったり。
もちろん海水と淡水を行き来できる魚もいるし。
それはそれぞれの性質。種としての特性。

自分にないものを持っている人たちって憧れるし、その中に入ってみて今までにない楽しみや喜びを得られることはある。
でも、必ずしもそれが自分に合ってるとは限らない。
自分はバンドのスタッフしてた時にそう思った。
バンドがものすごく好きだったし、裏方として働くことに憧れたけど、最後まで自分の居場所としては思えなかった。
打ち上げとか行くたびに浮いてるなーって。馴染まんなーって。
でもそこでの経験が本当に自分の筋肉になったんだと思うし、よかった。

憧れた場所に自分が合わないと、すごく悲しい。
あぁ自分はこの場所に見合わないんだなって思う。
無理して見合う人間になろうとすると、結果的に壊れちゃう。
でも、憧れた場所にいる人は、自分のいるような普通の場所では生きていけない人が多い。
それはそれで、きっと生きづらさもある。
プラダを着た悪魔」みたいなね。

憧れていない場所で生きている人たちもいて。
なんでそんなところでそんな生き方をするんだろう?って思うこともあるんだけど、そこでしか生きられない人たちもたくさんいる。
自分には理解できないからといって、存在を否定してしまうのもきっと違う。
深海魚は日光で溶けてしまうものも多い。
それぞれの場所で生きるために進化をしてるから、世間で言う「もっといい場所」に連れてこられたら生きていけない。
日当りのいい場所が、万人にとって居心地のいい場所とは限らない。

所在ないなって思うことは沢山ある。
でも所在ないって思っても、生きていられてるからそれなりにどこかに場所があるんじゃないかなって思ってる。
なんとなくここが居心地いいなというところに出会えるように、動けるなら動く方がいいのかなって思う。

対個人で言えば、ご縁って言葉の方があうのかな。
「ご縁があるから好きな人とは必ず縁が続く」って言い切れはしないけど。
片方の不義理の結果、離れてしまったものを「ご縁がなかった」っていうのはどうかなぁって思うし。
合うなと思う人とは誠意をもって、合わないなと思う人とは無理をせず、合わないなと思う人を否定せず。
っていうのは心がけたい。
キレイゴト言うけど、どちらかといえばキレイゴト言いたい方の人間。
不義理しすぎた結果、いろいろ傷を負ったので、不義理は向かないなって思ったから。
白を目指すグレーの人間ですね。