完璧主義者の完璧の落としどころが気になる。

私は完璧主義とは真逆の人間で、むしろ物事を白黒に割りきることも何かキッチリ収めたりキッチリドアを閉めることもあまり好きじゃない。実家にいるときから部屋のドアを中途半端に閉めること(ガチャンと言わせないこと)に対して気持ち悪がられる。

完璧なものを求めている人、白か黒か、0か100か、それでしかものを見れない!そうじゃないと気持ちが悪い人がいる。
その人にとっての境界が気になる。
この世の中のどこも完璧なものなんてないと思ってしまうから。
学生時代に色の勉強をして、製造業に就いて、完璧なもの、完全なもの、絶対的なものなんてないと気づいてしまった。
自然界には正円も直角も直線もない。人の手で作ったものは人の手による精度以上の物にはならない。
自分が見ている全てのもの色は光の反射によるものなわけで、光源が変われば色は変わる。光源の角度が変わっても強さが変わっても全て変わる。人間の個体それぞれの感覚も違う。その上で感覚的補正がなければ全ての色合いはその時にしか実在しないはず。
色の勉強をして、いかに感覚的補正によって色を見ているかということに衝撃を受けた。自分が見ている色を他の人の感覚でどう見えているかは確かめようがない。
製造業に就いて、世の中の工業製品は3~8%程度の不良が出ることを予め計算に入れて原価を出すことを知る。
同じ工場で作るものでも、朝の動き出し時と1日稼動した夜では仕上がりが違う。夏と冬でも全然違う。
コンピューターでも同じだと思う。バグを永久にゼロにすることはできないはず。
自分たちが幼少から使ってきた定規だって、プラスチック製のモノなら気温で結構サイズが伸縮するし印刷の精度なんて大したものではない。
モノを知れば知るほど、完璧なものってなんだろうって思う。
でも、限りなく完璧なものを求めなくてはいけないのは確かにある。
医療にまつわる行為、用具、移動手段に関わる行為、乗り物、レール。
自分にはそのものに命が直接的にかかわるモノを作ったり、その行為をする人が請け負うプレッシャーが想像しきれない。
鉄っちゃんではないけど、電車の線路が好きなのは、あんなにゆるやかなカーブなのにその角度にはたくさんの命を支えるための計算があるはずで、維持するためのメンテナンスがされていて、それが当たり前になっていることがすごい。

完璧にならないとしても、完璧を目指すことが大事なのは分かっている。完璧を目指さなければどんどん質が落ちる。
ただ、完璧でなくてはならないと感じている人はどこで折り合いをつけるんだろう。
完璧なものなんてない世界に絶望したりしないんだろうか。
完璧にならないから完璧を見つけるまで死ねない、なのかな。

たまぁに思うことなんだけど、完璧主義!っていう人の前ではもちろんこんなこと言えない。
人それぞれの価値観て面白いなーというのが結論、でいいかな。