かわいくない子にこそ、親はかわいいと言うべきなのか。

かわいい子は外でもかわいいとたくさん言われるだろう。
かわいくない子は親からかわいいと言われなければかわいいと言ってくれる人がいない。
ある程度の年齢まで、周囲の人は無条件に子供に対してかわいいと言う。
確かに無条件にかわいいから。
ただそのかわいいは存在としてのかわいいであって、主に美醜についてではない。
ある程度の成長の段階で、かわいいと言われていることは理解する。
自分はかわいいんだと、多くの子供は思うはず。
そうでもない子に対して、最初にそうでもないんだと気付かせてあげるのは親の役目?
そうでもない子でも、かわいいと言ってあげることが親の役目?

わたしの母は勘違いさせないことが役目だと言っていた。
実際幼少期のお姫様願望がとても強かったし、ピンク以外身に付けたくない子だった。
そのまま育てば、世に言う己の見た目を過大評価しすぎのブスになってた可能性は高い。
だからシャーリーテンプルを求めても、似合わないからとBeBeの服を着せていた。
親からすれば、見た目に差はあれど値段に大差はなく、親なりの愛情でそれを選んでいる
から、いつもぐずる私が腹立たしかったことだろう。

親の言葉は子供にとって、とても大きい。
時にはそれが目標になるし、重しにもなるし、足かせにもなる。
母に度々言われた「あなたは中途半端だから」という言葉は、
自分の中にこびりついていて、でもそれに対して違うとは思わない。
親の言葉に対して自分は中途半端じゃない!と信じて努力が出来る子であれば大成する。
それが出来ない子はその通りになる。
親の言葉に捕らわれるようであれば、その程度。
そういう母のスタンスは、子供に対して鬱屈な気持ちからではなく、
何か失敗や勘違いによって傷つくことを最小限にしてあげたいという気持ちから。
闇雲に高い壁を登って何か命に関わることがないように、という親心。
説明してもらえないとそんなところまで分からないんだけど説明はなかったから、
当時の自分にとっては、煮え切らない気持ちで受け取っていた。
今となればそういう親の気持ちもわからなくもないけど、
登り切ることができると信じてあげるのも親心なんじゃないのかな、とも思う。

親の期待が大きければ頑張れるとは限らない。
親の期待が大きすぎて押し潰されて壊れる子供もたくさんいる。
買いかぶられている子供のつらさも、きっとある。

周囲に対して、身内を褒めることが苦手な人がいる。子供についても。
褒められると「いやいや実は◯◯なのよ、やんなっちゃう」と答えてしまう人。
母はそれだった。基本的に直接であっても素直に身内を褒めたりが出来ない人。
子供からすると、それは謙遜であるとは思わず素直に受け取ってしまう。
家の中ではよく褒めているとしたら、きっと混乱する。本当はどっち?ってなる。
家の中でも褒めるよりも叱る方が得意であれば、自分はダメな子供だという自覚をする。

母は「褒められる所があれば褒めたけど」と言っていたけど、それもきっと確かで、
褒められるようなことはしない子だったと思うし、秀でたことは何もなかった。
でも「色彩感覚が他の子とは違って優れてるなと思ってた」と大人になってから
言われたけれど、幼少期の記憶の中にはそんなことを言われた記憶が全くないから、
きっと言葉にしてはいなかったんだと思う。ただぬりえはよくやっていた記憶はある。
結局、思ったことは言葉で伝えなくては正しく伝わらない。それは親子でも。

個体差だから、わからないけど。
わからないけど、親に褒めてもらいたい肯定してもらいたいという欲は必ずあって、
それが自己肯定の根幹だとは思う。
だからといって、子供のすべてを肯定したらそれはまた違うと思うんだけど。
大切なことはナンバーワンじゃなくて、もともと特別なオンリーワン?
その言葉もなんか居心地悪いんだけどなぁ…

身の回りにも子供を育てている人が増えてきて、それぞれの親子関係に対して
口を出せるわけもないし、出す気もないんだけど。
どう接しているのかな、って興味を持っている部分はあったりして。
どうか、こういうねじれた気持ちにならないといいな、
なんて勝手に祈ってしまっている。