メンヘラの壷の話。

私にはメンヘラの素養がある。
自分自身のメンヘラの素養に対して自覚がある。
私のなかで、メンタルがヘラヘラになる構成要素はいくつかあって、それの多くは自分の中で理解をしている。理解していないものもまだあるかもしれないけど。
その構成要素は普段壷のなかに封印されていて、何かの拍子にその壷の中身が外に出てきてメンタルをヘラヘラにするというイメージ。
自覚があるからそのメンヘラの壷との付き合い方がそれなりにあって、その付き合い方のひとつとして、思考回路を整理する為に文字にするというこの行為がある。

結構ドカンと鬱に入っちゃう人の場合、自分にメンヘラの素養がないと思ってる。
素養がないと思っているから、思わぬ衝撃であったり、蓄積されたダメージであったりで自分のメンヘラの壷が割れてしまうと、何が起きたか理解できない。
そうするとまず、自分の中にメンヘラの壷があったことを認めるだけでも結構労力がいる。自分の中にあるはずないと思ってるから。
私はメンヘラの壷を自分で管理できるようになることが、大きな爆発を起こさない為の最善の手段だと思っている。
もちろん些細なことでもピンポイントの衝撃で蓋が外れてしまうこともあるけど、自分の心がドロドロした時に「あ、これは蓋が外れてる」と気付くことができる。
そういう時は、壷の中から何が出てきたか、何が蓋を外すきっかけになったのかを見つめられるし、次への対策がとれる。
あとは、自分自身が壷を抱えているという一定の警戒心をもって動くことで、へんな動き方をすれば割れてしまうぞっていつも気をつけることができる。
いつもの話だけど、それによって勿体ないこともあるとは思うけど、壷を割ってしまった時に自分が大変なことになる気がしているから下手なことはしない。
自分だけで解決できると思ってないから、壊れたら人に迷惑かけるのが分かっていてわざわざ壊すようなことをするのは嫌だ。

壷の大きさも容量も内容も人によって全然違うと思うけど、持ってない人はほぼいない。
天然ちゃんについても、持っていない子はほぼいなくて、意外と大きな壷抱えてる子もいる。割れたらもう手が付けられないような。
ネアカって呼ばれるような明るい子の場合、ちゃんと壷を管理してる子の方が多い。自分の中にも壷があることは知ってるけど共存してるスタイル。
壷の中身にあんまり恐怖がないか、割らないという自信があるか。
そういう人はかっこいいなって思う。

私はわりと壷を持っていることに自覚がない人に対して、あなたの心のその辺りにあるのは壷じゃない?って思って覗きたくなってしまうんだけど、それはただのおせっかいだし、実行はしないようにはしてる。
ただでも壷の認識が出来た方が楽になりそうだなっていう人にはちょっと心の暗い所よく見てみる方がいいかもよということは言うかもしれない。
暗い所を見るには懐中電灯があるよと伝えたら、本人が自分の手で懐中電灯をもってやってほしいことなんだけど、たまに懐中電灯を人に託して心の中をあさってくれっていう人がいる。
それでは自分の整理にはならないんじゃないかなぁって思うことはあったりするけど、自分では同じ所しか見れない人もいるから必要なのかなとも思う。
でも、そういう人の場合、他の人が見てくれてここにこういう壷があるよと言われても結局自分の力で見つけてないから納得がいかず見方も変わらない。

壷を自覚してからは結局は自己管理だし、人に管理を求めるというのは依存。
それを踏まえても、自分のメンヘラの壷を自覚する方が生きていきやすいんじゃないかと思う。